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旭川地方裁判所 昭和35年(も)259号 判決

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、旭川市六条九丁目旭川市役所土木課補修係に勤務し、道路、橋梁、河川、水路の補修に係る調査、設計、施行およびその維持管理、所管工事の監督および検定、工事資材の検定などの職務に従事していたものであるが、昭和三十四年一月二十五日ごろ、近隣の開武雄より、同人の息子開忠雄が、自動車の大型免許証の申請をするのに年令が資格要件である十八才に満たないため、実際は十六才であるのに、十八才であるかのように虚偽の記載をした住民票抄本の作成を依頼されるや、同月二十七日、同市役所戸籍課住民登録係の部屋に赴き、行使の目的をもつて何等権限がないのに同係備付の住民票謄抄本用紙四枚の氏名欄にそれぞれ、開忠雄、年令欄に、実際は、同人は昭和十七年十一月二十九日生であるにもかかわらず、昭和十五年十一月二十九日と記載し、右住民票抄本が正当な手続を経て作成されたものの如く装つて、他の正規の書類中に混入したうえ、同係員をして、正当な手続を経て作成された住民票抄本なる旨を誤信させて、右住民票抄本の作成名義人である、北海道旭川市長前野与三吉名下に、同市長印を押捺させ、以つて、旭川市長前野与三吉作成名義の住民票抄本四通を偽造したものである。」

というにある。

そこで考えるに、まず、被告人の当公廷での供述ならびに検察官および司法警察職員(二通)に対する各供述調書、開武雄の検察官に対する供述調書、鈴木ミツ子の検察官および司法警察職員に対する各供述調書、証人佐野松太郎の当公廷での供述を総合すると、被告人は、本件当時、人夫名義の臨時的な職員として、旭川市役所土木課補修係に勤務し、住民票謄抄本の作成および交付など当時の同市役所戸籍課所管の事務とは全く関係のない職務に従事していたものであるが、昭和三十四年一月二十五日ごろ、近所に住んでいた開武雄という人から、同人の二男の開忠男が自動車の大型運転免許を申請するのに、年令が資格要件の十八才に満たなかつたため、実際は十六才であつたけれども、十八才であるかのように虚偽の生年月日を記載した住民票抄本の入手方を依頼され、これを承諾して同月二十七日、仕事の合間をみて同市役所内の戸籍課住民登録係の部屋に行き、当時被告人らのようないわば部内の者から謄抄本の交付を申請する場合には、多忙な係員の手をはぶくため、申請者自身が謄抄本用紙に所要事項を記入したうえ、同係員にそれを提出して認証奥書の市長名下に印鑑を押捺してもらうことが行なわれていたので、同課勤務の友人に住民票抄本用紙の記入方法などを聞いたうえ、その場の机の上にあつた住民票謄抄本用紙綴の中から四枚の用紙をはぎ取り、その場で住民登録台帳の記載と照し合わせながら、右用紙のそれぞれの世帯主欄に「開武雄」、その住所欄の「北海道旭川市」と印刷してあつた次に「東町三丁目」、氏名欄に「開忠雄」、その本籍欄に「旭川市東町三丁目」、世帯主との続柄欄に「二男」などと同台帳記載のままを転記し、開忠雄の生年月日欄には、同台帳によると同人は昭和十七年十一月二十九日生れとなつていたのに、右開武雄の依頼の趣旨に従つて、故意にその記載と違えて、「年月日生」と印刷してあつたその空白部分に「昭和15、11、19」と書き入れ、末尾の認証奥書と相俟つて開忠雄の生年月日が同台帳の原本に昭和十五年十一月二十九日となつているように虚偽の記載をなし、次いで同用紙の末尾に印刷してあつた北海道旭川市長前野与三吉名義の認証奥書に同市長印を押捺する必要があつたが、市長印の押捺は同係員のみしかなしえなかつたので、同係員に原本と違つた記載のされていることを察知されないようにして巧く市長印を押捺してもらおうと考え、住民登録台帳の該当部分に同用紙をはさみ込むことをせずに、右のような虚偽の記載をした用紙のみに抄本交付手数料納入済の証紙をそえ、台帳とは別にして同課住民登録係員の机の上においておいたところ、同係員の鈴木ミツ子が、多忙にとりまぎれ、台帳と照合することなく、漫然同用紙の記載がすべて住民票原本と合致しているものと過信し、同用紙中の空欄部分に斜線を引き、認証番号および認証年月日を記入し、さらに抄本交付簿に記入したうえ、同用紙末尾の「この抄本は住民票の原本と相違ないことを認証する。」「北海道旭川市長前野与三吉」と印刷してあつた同市長名下に、同市長印を押捺し、同市長が住民票原本と相違ない旨を認証した趣旨の住民票抄本四通を作成してくれていたので、後刻同課員よりこれを受領して右開武雄に交付した事実が認められる。そして、被告人の右行為のうち、住民票抄本用紙の所要欄に記入をした行為は、住民票抄本作成過程の一部であり、しかも被告人は右のような作成過程に関与する職務にも従事していなかつたものであるが同用紙には作成権限者である市長名は印刷されてあつたけれども、その名下に同市長印が押捺されていなかつたのであるから、公務員の署名を利用してする公文書偽造が成立しないのはもとよりのこと当時所要事項欄に同係員以外の者が記入することが認められていたことは前記認定のとおりであるうえ、住民票の謄抄本は作成権限者である市長印の押捺してあるものしか発行されておらず、これを欠くものは公務所その他一般世人の間においても公文書として通用しないものと認められるので、右記載のみをもつてしては未だ公文書としての外観を整えているものとは認められないので、それのみによつてただちに本件住民票抄本を作成したとはいいえないと考えられ、さらに同文書の作成名義人である北海道旭川市長前野与三吉名下に同市長印を押捺したことによつてはじめて、同文書が完成されたと認めるべきである。従つて、本件にとつて重要なのは、被告人自身が同抄本の所要事項欄に記入をしたことではなく、鈴木ミツ子をしてこの記入をした用紙中の旭川市長名義の認証奥書に同市長印を押捺させ住民票抄本の公文書としての形式を完成させたことにあると考えられ、この意味において、被告人は情を知らない鈴木ミツ子の行為を利用して、すなわち間接に本件住民票抄本を作成したものといわなければならない。

ところで、検察官は、本件は刑法第百五十五条第一項前段の公文書偽造罪に該当するとの主張をしているので、右主張を前記認定の本件事実関係に即して考えてみると、それは同条同項のいわゆる間接正犯にあたるとの主張をしているものと解せられるのであるが、公文書偽造罪における間接正犯にあつては、同法第百五十六条および百五十七条の規定との関係上、利用者たる間接正犯者に同文書を作成する権限がなかつたとしても、被利用者に同文書を作成する権限があつた場合には、少くとも同法第百五十五条の罪は成立しないと解せられるので、本件についても、利用者である被告人に本件住民票抄本を作成する権限がなかつたことは明らかであるけれども、これのみによつてただちに同法第百五十五条第一項の公文書偽造罪が成立するとはいいえないのであつて、さらに被利用者にあたる鈴木ミツ子につき本件住民票抄本を作成する権限があつたかどおかなど同女の職務権限につき考察を加えてゆかなければならない。

そこで、その点について考えてみるのに、本件住民票抄本は本来旭川市長においてこれを作成する権限のあつたものであるけれども旭川市においては、市長の権限に属する事務の迅速な処理を図るため、上級補助職員に或る種事務の一部を専決させることを目的として、条例をもつて、旭川市事務専決規程を設けているのであるが、同規程の第四条第八号によると、「戸籍、住民登録及び外国人登録に関する諸願届及び申請の処理」については、市長の決済をうることなく、戸籍課長においてこれを専決しうることになつており、住民票抄本の作成および交付は、右のうち住民登録に関する諸願の処理に含まれると解せられるので、同課長に作成および交付の権限が与えられていたものと認められる。そして証人中山力雄および大我口一英の当公廷における供述ならびに鈴木ミツ子の検察官に対する供述調書によると、実際上は、同課長が直接にそのような処理をしていたわけではなく、住民票抄本の交付申請の受付、同用紙えの台帳からの転記、市長名義の認証印の押捺、作成された抄本の交付などすべての行為が、同課住民登録係員の鈴木ミツ子外一名に委せられており、課長はただ申請者、必要者および部数を記載した交付簿を事後に一括して閲覧することによつて、決裁をしたような形をとつていたに過ぎないものであつて、最も大事な同市長印も、右鈴木ミツ子らの机上におかれていて同女らの保管に委せられていたことが認められる。そして、旭川市事務分掌条例施行規則第三条第七項には「係員は、上司の命をうけて、事務に従事する。」旨の規定が存するから、鈴木ミツ子ら住民登録係が右のような事務に従事していたのは、住民票抄本の作成権限を有する同課長の前記の如き内容を含む包括的な執務命令をうけてしていたものであつて、同課長のいわば手足となつてその権限に属する事務の一部を事実上代行していたものと解すべきである。従つて、鈴木ミツ子という係員そのものについてのみみてみると、もとより本件住民票抄本を作成する権限を有していなかつたといわなければならないけれども、同女が本件住民票抄本に旭川市長印を押捺してこれを作成したのは、前記の如き課長の命令に基づく職務の正当な執行としてその執務の通常の過程において処理したものと認められるので、課長の有していた権限と無関係に同女の行為のみを切り離して考えるのは妥当ではなく、両者を一体として相即不離のものとして包括評価すべきであつて、この意味において本件住民票抄本は法律上同課長において直接これを作成したものと同視すべきであると考える。

このように、本件住民票抄本は、権限のある者によつて作成されているのであるから、被告人がその者の行為を利用して間接にこれを作成したとしても、作成名義に偽りはなく、検察官の本件が刑法第百五十五条第一項前段にいわゆる公文書偽造に該当するとの主張はとりえないといわなければならない。もつとも、検察官は、被告人は、何らの権限がないのに住民票抄本に虚偽の内容の記載をなし、それを正規の手続を経て作成されたもののように装つて、他の正規の書類中に混入し、同係員をして、正規の手続を経て作成された住民票抄本なる旨誤信させて、同抄本の作成名義人の名下に印鑑を押捺させているのであるから、本件住民票抄本はその作成手続自体に瑕疵あるものというべきであつて、作成権限者による文書作成行為とは認めえないと主張しているようであるが、作成権限者を欺罔して他の文書と誤信させて印鑑を押捺させたというのならばともかく、本件住民票抄本の事実上の作成者である鈴木ミツ子は、本件文書が住民票の抄本であることを充分に認識したうえ、これを作成交付する意思をもつて市長印を押捺し完成したものであるからその内容の真実性につき偶々誤信があつたからといつて、検察官の主張するような作成権限者による作成行為でないなどと云えないことは明らかなことである。そして、さらにこのようないわゆる公文書の間接無形偽造については、刑法が公文書の無形偽造について、同法第五十六条のほかに、とくに公務員に対し虚偽の申立をなし、権利義務に関する公正証書の原本又は免状、鑑札もしくは旅券に不実の記載をなさしめたときに限つて同法第百五十七条の処罰規定を設け、しかも右百五十六条の場合の刑より著しく軽く罰しているに過ぎない点からみると、作成権限を有しないものが間接正犯であるときは同法第百五十七条の場合の外これを処罰しない趣旨と解すべきであり、被告人が作成権限を有しなかつたことおよび本件住民票の抄本が同法第百五十七条にいわゆる権利義務に関する公正証書の原本又は免状、鑑札、旅券のいずれにも当らないことはいうまでもないところであるから、被告人の本件行為はいずれにしても罪とならないものといわなければならない。

よつて、刑事訴訟法第三百三十六条に従つて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長久一三 裁判官 坂本武志 岡次郎)

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